2014年2月26日水曜日

「感じるお産」

妊娠以来、ずっと感じている事だけど。

とにかくボーっとするし、集中力がない。

この文章だって、実は2日掛かりで書いていたりする。


でも、コレでいい、ボーっとするんでいい。

妊婦はボーっとなるべきなんだなって、臨月に入った今、思う。




なぜかと言うと、妊娠やお産って、つくづく「感じるもの」なんじゃないかって、今思うから。



やっぱりお産は女性じゃなきゃできない、女性ならではの仕事、仕業だと思う。



女性は陰陽でいう「陰」の存在。

「子宮」はやっぱり、天や、目に見えない暗在系の世界と繋がるお宮=「神社」と同じで、「産道」は「参道」なんだと思う。



私達は神様によってもたらされ、どの魂も等しく、同時に神様を内在させている。

妊娠してからの身体の変化は100%他力(=自然の力、神様の力?)によるもので、つわりなんかの食の趣味の変化等に始まり、何も自力でコントロールなんてできない。

だけど、上手くその「他力」の波に乗ってしまうなり、抗わずに受け入れ、流し、循環させてしまえば、そんなに酷い目に遭う事もない。

必要なメッセージを受け取り、受け入れれば、自ずと消えていく。

もちろん妊娠中の様々なトラブルも含め、全ての事象や体調には意味があり、メッセージがあるから、トラブルが出る事自体や、それに対する医療介入も、この時代において悪い事では全く無い。

要は、それらトラブルの出た意思・意味や、お腹に宿った新しい命の意思を、ちゃんと「感じる」ことが大事なんだと思う。




感じたことは、ただ「感じたこと」で良くて。


それらをジャッジする必要もない。


「感じたこと」が正しいか、正しくないか、なんて、必要ないから。






ただ、感じ、受け入れる。


そして「大丈夫だよ」と声をかけ、また流す。





感じること。


受け入れること。





これはやっぱり「陰」の女性、ならではのチカラだと思う。


異物をも受け入れ、育む。


血液型の違う血の流れる子だって、この血で育むことができる。




そしてこの「異物」こそ。

メッセンジャーであり、神の遣いだったり、天使だったりする。

私達は、それらを愛する事ができる。






私達「女性」は、感じる事が得意。

Don't think, Just Feel.


もちろん「男性」にも女性ホルモンがあるように、「母性」や「女性性」は内在しているので、そこをうまく活かせば、誰にでも出来る。




やってきたメッセージを受け取ること。


そして、それらを育むことも。


こんな風に、外へ表現してみたり。


そうして、ただ受け入れたものを、流し、循環させることもできる。






今、「お産」を目の前にして。

そういう「感じるお産」をしたいな〜って、思っている。




初めてのお産。

しかもお産って、1人1人違うと言う。



お産は痛い?

そんなの、やってみないとわからない!





うちのママは、痛くなかったって言ってた。

医学用語的には「微弱陣痛」なんて言われてしまうこともあるけど。

うちの母曰く、痛みの感じ方も個人差があるし、赤ちゃんのことや、もうすぐで会える喜びや、はやる心が先立って、そんなの何でも無かったって。

もちろん叫んだりしなかったし、2人産んで、2人ともスルッと出て来て、安産だったって。


「痛くない出産法」と言われるソフロロジーや、ヒプノバーシングの映像を見たり、MINMIさんのお話を聞いて。

出産って、痛くないものなのかもなー、と、臨月の今さらながら、改めて思うようになった。


ゆっくり息を吐けば、赤ちゃんが回転して出ようとしているのが、わかるよって。



私達は生きている1つの生命体で。

「産める」から、授かったのだから。

身体の流れ、命の流れ。

抗わずに、妨げずに流せば、きっとつるりと、この子を外の世界へ、連れて来てあげられるんじゃないかなぁ。



花は咲く時に、花びらを広げながら、痛みを伴うのかな。

木は実を落とすときに、痛みを恐れるのかな。

お産するときに、そこまで叫ぶ動物は、いない。




「妊娠」って、超自然。

だから、120%自然に委ねてみたら、「お産」も出来る気がする。

少なくとも、今120%自然の力で生きているこの子は、そうやって出て来ようとするだろう。

私も、頭で考えず、心と身体で「感じて」サポートしてあげたい。

この子の、この1人の人間の、たった1回きりの、本当のお誕生日に。




産める身体をくれた、両親に。

新しい命を与えてくれた、裕也さんに。

ここまで命を繋いでくれた、多くのご先祖様達に感謝して。

命の流れを感じながら、お産したいな。

私達の、愛の結晶。




きっとね、お産しているときは。

私も赤ちゃんと同じく、この世と天の間みたいなところで、ユラユラと気持ち良くなれるんじゃないかな〜って。

そんな気がしている。



瞑想や呼吸法をずーーっとして、頭がポカンもとなっているときの、あの気持ち良い感覚。

そして、小さい頃にお母さんに抱っこしてもらったときのような感覚や、大好きな人の腕の中にいる感覚。

出産時の呼吸練習を兼ねて、寝る前なんかに呼吸法をやっているんだけど。

お腹の赤ちゃんのことを感じて、長い呼吸をしていると、自然とそういう感覚がしてきて、なんだか気持ち良くなってくる。

この感覚は、妊娠前には、呼吸法をしても、あまり味わえなかったな。


心からの安堵感、安心感、平和感。
みたいなもの。


これ、「愛」なのかなぁ。


お腹の中にいるポコの感覚と、私の感覚が、シンクロしているのかも知れない。



お産の時、大変なのはママじゃなくて、赤ちゃんだって聞くから。



「パパとママがいるから、安心して出ておいで。
お外の世界は素晴らしいよ。」



そうやって声を掛けている。

きっとこの子も今頃、外へ出るための練習と、イメージトレーニングをしているんじゃないかなぁ。


初めて出会う外の世界への、憧れと、不安と、期待。



それでいいんだよ。

全部持って、そのまんまのキミで。

心と身体の準備が、自分なりに整ったら、いつでも出ておいでって。

そう話し掛けてる。



ポコちゃん。

君に会える日は近い。

ママもパパも、おばあちゃんもおじいちゃんも、ひいおばあちゃんも、ひいおじいちゃんも。

みんなみんな、キミと会えるのを、心から楽しみにしているよ。