体調を崩している時にこそ感じる、家族やパートナーの有り難み。
久しぶりに惚気がてら、裕也さん、こと、旦那さんのことを書こうと思う。
今夜、裕也さんには、できたらポコが出て来る前に済ませたい、大事な用事があった。
でも、私がお腹を降していて、グッタリ。
ただでさえ、1人でいるのは心細い臨月。
たぶん、とってもとっても行きたかっただろうけど、キャンセルして、今一緒にいてくれている。
これは、里帰りせずに2人での出産&育児をする予定の妊婦的に、とても有難いし、頼もしい判断。
ポコもパパが側にいてくれて、とっても安心している様子。
出産後に子育てに勤しみたいからこそ、臨月のうちに予定をこなしてしまいたいー!というパパも、いるんだろうけど。
臨月のママは、小さなことでも、けっこう大変。
それに「子育て」は、お腹に宿った時点で、もう始まっている。
臨月にもなると、お腹の子も、本当に立派な、1人の意思ある人間。
薄くなったお腹の皮の中で、外の世界のいろいろを察しながら、その子なりの反応を返してくる。
妊婦ママと一緒にいて、そんな2人をケアすること。
それ自体が、もう子育てになっていると思う。
裕也さんは、以前、何のキッカケでもなく、ある日突然、
「ここまで(大きくなるくらい)ポコを育ててくれて、ありがとう」
って言ってくれたことがある。
本人も覚えているか、わからないけれど。
お腹が大きくなって、仰向けで寝たり、グッスリ寝たりできず、何かと不便な妊婦生活の中で、この言葉はとてもうれしかった。
残りの妊婦生活も出産も、楽しんで乗り切るかー!って思えた。
それに毎晩、自分は入らない湯船をキレイに洗って、私とポコを温めてくれる。
どんなに疲れている日でも、コレだけは欠かさない。
だから毎日、
「今日もお風呂が気持ち良いね」
って、ポコに話し掛けて入浴する。
ときどき入浴中、裕也さんもお腹のポコに会いに来て、ポコの胎動と3人、バスルームで親子の時間をする。
きっとポコにとっても、幸せな時間。
お腹の中まで、お風呂の温度と一緒に、パパの愛情が伝わっているといいな。
そして「立会い出産」は稀でなくても、日本のように「出産直前の両親学級」はないバンコク。
早めに日本人会に入っていれば、そこで機会はあったかも知れないけれど。
そんなわけで、私だって初めてだけど、「お産」のこと勉強して、伝えるのは私の役目?
きっとイメージだけでいきなり現場に立ち会うと、いろいろ後で大変なこともあるよね…
と、私はもともと健康オタクというか、特に自分の身体に起きていること、起こりつつあることに関しては、自分なりに深く学びたいタイプなのもあり。
「お産」に関しても、気になる限りのことを情報収集。
まだまだ「バースプラン」という考え方は、日本には浸透していないようだけど。
私は自分のため、一生に一回の本当のポコの「お誕生の日」のため、家族の幸せのためにも、キチンと「お産哲学」を持ちたかったし、「バースプラン」も、初産の素人の自分なりに、キチンと考えたかった。
何事にも、「頑固」とは違う、軸になる「自分の考え方や哲学」を持ちたいのは、私なりの生き方でもある。
軸があるからこそ、他も異物も上手に取り入れられるし、ブレても元に戻れると思うから。
タイのお医者さんは丁寧なのか、そういった医療文化に慣れているのか。
私が「こういうお産がしたい」という話を、ちゃんと聴いてくれる。
「フリースタイル分娩」ができる病院だからこそ、ここで生みたかったんだけどね。
こんな面倒な話、日本の病院でしたら面倒くさがられて、飽きれられちゃいそうだねって、裕也さんと笑って話した。
もちろん健康状態によっては実現出来ないこともあるけれど、それも含め「予めイメージしておく」のは大切だと思うのだ。
そして、そんなワガママな私のバースプランを、ちゃんと聴いて、共に学んでくれたのが、裕也さん。
「お医者さん」が理解してくれる以上に、お産の現場で側にいる予定のパートナーが理解してくれているのは、何かあった時に、とても安心。
当たり前だけど、当事者の私とポコは、何かあっても、そのときにいろんな余裕は無いだろう。
これは「私が産む/私の出産」なんていう母親主体のものではなくて、「ポコが外の世界へ出て行くこと」なのだと思う。
今からこれだけ主体的に「子育て」に関わってくれる旦那さまで、すごく頼りになるな〜と感じているし、親子3人で良いお産ができそうだなって、今思っている。
そういうパートナーでいてくれることに、本当に感謝でいっぱい。
私とポコだけじゃなくて、裕也さんにとっても達成感が味わえるようなお産になれたら、よりステキだな。
「期待」はしていないけれど。
私自身、良いお産になるように努めつつ。
隣のパパにとっても、ポコにとっても。
家族3人にとって良い思い出になるような、そんなお産になるといいな。