2014年3月10日月曜日

臍帯血

「出産前にやりたかったことシリーズ」の1つ。

臍帯血の準備。



さいたいけつ。こと、臍帯血。
臍の緒と、その中にある血液のこと。
裕也さんも、私が話すまで、知らなかったみたい。
意外と知られていないのかな。


http://www.saitaiketu.info


ぼんやりと頭の片隅にあった、臍帯血のこと。

「この時にしか獲れない、ムダにしてはいけないもの」

というイメージが、ずっと頭から離れなかった。



日本の産院に、臍帯血の案内のパンフレットが置いてあった。

出産はタイだという頭があったので、パンフレットは取らず、詳しい中身も見ていないけれど。

タイに来たら、出産までに調べなきゃ、とは思っていた。



「幸せのお裾分けです。」

小さい頃、そんなメッセージが印象的な、臍帯血バンクのCMを見た気がする。



臍帯血には多くの造血幹細胞が含まれ、それらは成長後も、多くの再生医療、主に血液系の細胞の再生のための移植の材料として、使うことができる。

何も言わなければ医療廃棄物として捨てられてしまう、臍の緒から採取する。
採取には何の負担も痛みも無いけれど、出産したそのときにしか採れないモノ。

この「造血幹細胞」。
他人と一致することはごく稀で、病気になり移植が必要になった場合、「骨髄バンク」なんかで適合者を探すのだけれど、合致する確率は数百万分の一と言われている。
兄弟がいる場合は、兄弟間で合致する確率は、25%とのこと。

ちなみに臍帯血以外で造血幹細胞を採取する場合、背骨に注射をして骨髄液を採取するので、これは大変な手間と痛みを伴う。



移植を必要とするような病気になることは、本当に稀なことだ。

でも、どんなに健康に気を配っていても、なるときは、なる。
病気って、そういうもの。

友人の子供が、小児白血病になった。
私よりもずっと健康そうなお母さんの元で、絵に描いたように健やかに育っている子が、突然だった。

白血病といえば、骨髄バンク。
そんな図式が頭の中にあった。

けれど、前述したように、適合する人と出会えることは、すごく稀。
適合したとしても、他人の血を移植すると拒否反応が大変で、それで死に至るリスクもある。

でも、だからこそ、1人でも多くの人が、臍帯血バンクに寄付をしないと…と思っていた。



そんなキッカケもあって、心に残っていた、臍帯血のこと。

まずは先生に聞いた。


「stem cell (造血幹細胞)のことでしょう?

もちろん採取できますよ。

たいていの日本人は、あまり興味が無いわよね。」


そんな、意外な反応が返ってきた。


「臍帯血は、病院とは関係がないのよ。

自分で問い合わせてね。」


と、いくつかの会社のパンフレットを渡された。



「臍帯血=病院を通じて寄付するもの」

というイメージだったので、この展開にビックリした。



臍帯血を集めている会社の、パンフレットだ〜。

大小いろんなパンフレット。

英語表記、タイ語表記、全部で4種類。

この病院提携の会社、ということか。



家に帰ってから、改めて日本語で「臍帯血」についてググってみた。

この記事冒頭のサイトを見て、やっとなんとなく、事情がわかった。



「公的バンク=寄付」と、
「民間バンク=個人保管」があるのか。



つまり、あのパンフレットの会社は全部、民間経営の、個人保管用の臍帯血保管会社なのだ。



コレを知ったのは、予定日1週間前。

もう既に、身体も頭も動かない。

お腹も重い。



臍帯血…どーしようかな??



「じゃぁ」と。

下調べから問い合わせ、営業さんとの相談まで、仕事の合間に、裕也さんがささっとこなしてくれた。



私は。。

裕也さんが聞いてきた、「個人保管」の値段を聞いて、ビックリ!



「英語の練習になるから」

くらいのモチベーションで、調べてくれたという、裕也さん。

頼んだのは、わたし。



ポコが出て来たら、この先いろんな事にお金が掛かるようになる。

それは、2人とも良くわかっている。

その上で、臍帯血の「さ」の字も知らなかった裕也さんの意思は、意外にも、

「個人保管しよう」

だった。



「臍帯血の個人保管は、高い。贅沢品。」


そんなイメージだったから、全面的にその意見を、最初から肯定することはできなかった。

けれど、いろいろ調べた上で、直感的に裕也さんが下した判断だろうから、反対をしたい気持ちもなかった。

むしろ、何でそう思えたのか、もっと知りたいと思った。

お産までの時間が無いなりに…私も、まずはこの営業さんと、直に話してみるか、と。

サインをしなければ、契約にはならないのだし。

とりあえず、GO。



それまでに、私なりにナゾな点は調べた…というより、先生と営業さんに聞いた。



どうやらタイでも臍帯血の寄付は、赤十字で受け付けている。

そうか、赤十字に寄付できるじゃないか。

けど…、どうやらウチの病院と赤十字は、提携していない。

そうか。
よく考えてみたら、私立の病院と、公立の病院だ。

先生に「寄付はできますか?」と聞いてみたら、
「タイでは寄付は足りているから、大丈夫。
タイ人はみんな、子供自身の為だけに、臍帯血を取っておくのよ。」と。



へ??



ただでさえ型の合いづらい造血幹細胞が、公的バンクに足りている、なんてことがあるのだろうか??




違う。




私が「足りている」と直訳した、さっきの先生の言葉。

先生は「พอแล้ะ / pho le」と表現していた。

これは「พอแล้ว / pho leao」のスラング表現で、「もう十分だ」っていうのを強調している表現でもある。


これ、実際にモノが十分にあるときにも使う表現だけど。

これ以上の機能充実が考えられない状態や、もうこれ以上はどうしようもない、というときにも使う。



そうなのだ。

なかなか適合しないからこそ…

親自身で、我が子の臍帯血を取って置くのだ。



「助け合いの和」精神の日本人には、あまり馴染まない考えかも知れない。

「滅多に適合しない」からこそ、個人保管せずに公的バンクに頼る事は、ある意味では無責任な事なのだ。

「子供」に甘いタイ、何よりも「家族」や「血縁者」を大切にするタイ。

自分のこと、自分の身の周りの人のことは、自分達で守るタイ。

お金を出すことでその子の「臍帯血=造血幹細胞」を、保管しておけるのならば、そうするのが(富裕層の)タイ式。


「タイでは個人保管が当たり前」

これはもちろん、この病院に来れるような、富裕層のタイ人にとっては、だろう。

けれど、同じ病院に出入りする者同士。
この病院に勤める人にとっては、普通の日本人も、タイ人の富裕層も、同じレベルのお客様だ。

そして、この層の人間においては、公的臍帯血バンクは必要ない…というか、機能を成していないのだ。
みんな、個人保管しているから。
「もう十分」なのだ。



そんな中で、私達がコンタクトしたのは、ロンドンにある「民間臍帯血保管会社」の、タイオフィス。

営業さんは、私が予想していたような、ガチガチのスーツの、パリッとした西洋人男性セールスマンではなく。

こざっぱりとした雰囲気で、さらりと洗いざらしのポロシャツを来た、良い意味で化粧気のない、ナチュラルな細身のヨーロピアン女性だった。

ハイソな雰囲気の、タイ人の若いアシスタントの女の子が一緒だった。

以前日本の会社で働いていた、という日本贔屓の雰囲気の彼女は、私がタイ語を喋れるとわかったら、いろいろ教えてくれた。

この会社のお客様は、ほとんどがタイ人で、その他は西洋人であること。
(普段の営業では、彼女が通訳も兼ねてアシスタントをしていると思われる。
今回は日本人だったから、日本人に馴染みの深い彼女が、アシスタントに来たのだろう。)

この病院に来るタイ人は、ほとんどが臍帯血を個人保管していること。

個人保管の他に、寄付をするタイ人も、たくさんいること。

日本人には、とにかく「臍帯血」のことは、知られていないこと。



臍帯血の個人保管に差し当たって、似た性質のものとして比較して考えたのは、やはり「保険」だった。



けれど考える程に、「保険加入」と「臍帯血の個人保管」は、違う。



「安心」を買う。その点は似ている。

でも、保険金で、病気は治せない。

お金は、治療の幅を広げ、治療の手助けをしてくれる。

けれど「臍帯血」は・・・
無きゃ、使えない。

いわば「治療の切り札」のようなもの。

しかも病気だけでなく、ケガに使うこともできる。

再生医療の発達の目覚ましい現代では、この先の治療に対して、大きな可能性も含んでいる。

アルツハイマーなんかの脳細胞の病気も、この先、臍帯血で治せる可能性があるのだ。
ひょっとしたら、この子が大人になる頃には…


今はまだ値の張る『臍帯血の個人保管』。

でもこれ、当たり前になっちゃう日が、そう遠くないうちに来るかも知れない、と思った。

日本で臍帯血バンクができたのは1993年だって、どこかに書いてあったかなぁ。

私達が生まれた頃には、まだできなかったことだ。

この10年の間に「臍帯血の個人保管」ができるようになり、実際に利用した人がいて、治癒の症例も増え続けている。

技術の革新というのは、どの時代にも目覚ましく、あるとき急に進んだりする。
レーシックなんかもそうだ。

この子が大人になる頃…臍帯血を利用した再生医療は、確実に幅を広げているだろう。

その一方で、日本では民間の臍帯血バンクで、経営が成り立たなかったこともあるとか。

その上で私達は、一生に一回の「臍帯血採取の機会」を、どうするのか。

これはもう「生き方」に通じる話。

よくよく、2人で話した。



そしてこの臍帯血を、私達は、この子に初めて作ってあげる、初めての財産にすることにした。

臍帯、そのものも含めて。

(日本では血液のみの保管のようだけれど、このロンドンの会社では、いろいろプランが選べる。
臍帯そのものまで保管するか否かで、臍帯血の利用可能範囲も、大きく異なってくる。)



もちろん、ずっとずっと、元気でいてくれるのが一番!

何よりもそれを望む。



その一方で。

今回の意思決定をしたことで、経済面含め、2人一緒に、今までよりもっと大きなビジョンが描けるようになった!

この子の一生において、臍帯血を、最初で生涯の財産にできる親でいよう。

この先も、教育プランや住む地域について、いろんな選択肢が出てくるけれど、周り云々ではなく、常に自分達らしい、オリジナルな意思決定をしていこう。

本当に豊かな生活をしよう、と。



そんな「これからのビジョン」を持つにも繋がった、今回の臍帯血のお話でした。

ポコに成長させられているなぁ。