2014年3月7日金曜日

チェンマイ行きをやめた理由

「出産前にしようと思ったこと」は、いろいろある。

そして実は、まだやり終えていないものも、いくつかある。



去年の今頃出た、チェンマイ行きの話。

あれを断った本当の理由を、ちゃんとこれまで、書いていなかった。

だから「あれ?チェンマイじゃなくて、バンコクになったの?」って、「???」って思っている人は、たくさんいると思う。


実は、チェンマイ行きを断ったのは

「子供ができたら困る。
1年は作らないように約束してほしい。」

と言われたから。


経営者視点で見れば、仕方のない意見だ。
と、少なくとも私自身は理解できた。

(ちなみに日本では、マタニティハラスメントと言われ兼ねない、非常に繊細な事象ではあります。。
が、私個人としては、マタハラ云々別として、相手の身になってみれば、理解のできない意見ではありませんでした。)

新設のリトリートで、唯一の日本人マネージャーが、まだ経営も本調子にのらないうちに妊娠したら、経営に差し支えるのは目に見えている。

日本でも、私くらいの世代の女性達の転職の面接で、こういう話が出るっていう話を聞いたことがある。

けど。
周りとか、世間の云々とかは、どうでもよく…

私は単純に、妊娠を避けなければならないような結婚や生活を、もう二度としたくなかった。


前記事含め、私の「めまい」体質については、ときどき書いているけれど。

この「めまい」を患うようになったキッカケは、前の旦那さんと結婚する前、この旦那さんとの間に恵まれた子を、諦めた事が原因。

いわゆる「病院」には、婦人科から内科から耳鼻科、めまい外来や心療内科まで、全部行った。
たくさん検査も受けた。
でも、身体はどこも悪くなかった。

思い切って「統合医療」の扉を叩いた。
そこで一気に改善へと進めてくれたのは「ホメオパシー」だった。

生活と身体が連動していることを、実感した。

そこからいろんな流れで、出会うがまま。
ヨガもやったし、フラワーレメディやアロマもやった。
タイで出会ったマクロビオティックでは、身体が根本から変わっていくことを実感した。



身体が変わって、人生や生き方が変わった。



変わった、というより、
「本来の自分へ還る」というのが正しい。



本来の身体を取り戻すことで、本来の自分が望む人生を、思い出せるようになった。




それまで、ふにゃふにゃのへにゃへにゃで、いつもめまいがしていて、頼りなかった自分。

「こう生きる」が取り戻せたら、シャキッとした。



でもこれは、元旦那さんにとっては、想像と理解を超えた変化だった。

彼もまた、乗り越えるべき人生の、過渡期にあった。



私は、一度妊娠を歓迎されなかったパートナーと、もう一度同じチャレンジをしようとは、思えなかった。

心のどこかに「どうせ妊娠しても歓迎されない」という想いがくっついてきて、離れなかった。



「許せていない」



そういう自覚があり、相手を許せていないということは、同時に自分を許せていないことだった。

彼との間に子供を持つことを考える度に、それを自覚した。

23歳の妊娠から、25歳での結婚を経て、計6年も経っていた。

29歳だった。

これを乗り越えて、この人と子供を考えるには、あと何年掛かるだろう、と思った。



30代になる前に、1人になろうと思った。

離婚を決めた。



タイでの生活、海外での生活は、とても気に入っていた。

海外生活は、小さな頃からの夢でもあった。

けど、手離した。




本帰国後の、日本での3年…

これは正直、離婚して本帰国している、三十路の私にとって。

「修行」そのものだった。




でもこの3年で得たもの、学んだ事は。

大き過ぎるくらい大きく、
抱えきれない程に、多く。

もちろん、ココには書ききれないほどで。


良い学びを得られる人達に出会えた。

最高で最幸の仕事に出会えた。

自分を愛される価値のある人間だと、思い出させてもらった。

裕也さんに出会えた。

とても価値のある、修行期間だった。




チェンマイ行きの話に戻る。

私は「気を付けても、私達人間の意思だけでは、避けられない妊娠もある」ということを、経験的によく知っていた。

それによって身体を壊した事があること、だからこそ自然療法の良さがわかることも、経営者側に説明していた。

「1年は子供を作りません」と契約書に書いたとして、もし実現できなければ、そのときの私達の身の行き先は、どうなるかわからなかった。

そして、そもそも「自然の力」を体感するためのリトリートで、マネージャーである自分が、そんな不自然な生活をしなければならないことにも、違和感を感じた。


しかしながら、子供だって、できるかどうかもわからないんだし。

やりたいと思える仕事だった。

迷いに迷った。



もし、チェンマイに行ったとして。

裕也さんとも一緒にいられる。
年収も上がる。
やりがいのある仕事ができる。
海外暮らしができる。


でも、もし、赤ちゃんができたら?


歓迎されない。
そのタイミングから職を失い、異国で経済的に苦労することになる。
本当はめでたい状況なはずなのに、方々に謝らなくてはいけない状況になる。
できたタイミングで、私のキャリアも終わる。
ちゃんと夫婦をしているのに、自然な流れなのに、我が子を気持ち良く迎えてあげられない。



そんなことを考えると、つらかった。

もうそんな思いをするのは、イヤだった。

「自然」に抗わなきゃいけないのは、もう御免だ。

あとは、直感だった。




断わった。

そのときから、プッツリ連絡が途絶えた。

これまでのやり取りは何だったんだろう?と思うほど、あっけない終わり方だった。



チェンマイ行きを断わった、この理由について。

「妊娠・出産」に関しては、デリケートなお話でもあり。

いろんな人が、いろんな意見を持っていることも、よくわかっている。

だから去年はいったん、口をつぐんだ。




結果…こんなに早く恵まれるとも想像していなかった。

裕也さんという最高のパートナーとの間に、この子はスグ舞い降りて来た。

「待っていました!」と言わんばかりに。



別なキッカケから、タイに住めることになろうとも思っていなかった。

前職の仲間達は、みんな私の妊娠を喜んでくれて、お客様も含め、みんなが私のお腹が大きくなる事を楽しみにしてくれた。

体調の悪いときはフォローしてくれた。

裕也さん含め、職場の仲間やお客様、みんながポコを守ってくれて、1人で頑張らなくていいんだって、安心させてくれた。

これは、何物にも代え難い、恵まれた環境だった。

手放さなくてよかった、と思った。



妊娠生活に関しては。

23歳で、計画外の妊娠をしたとき、ごく初期にも関わらず、酷いつわりだった。

不思議なもので、全てを受け入れられる状態でした、今回の妊娠では、酷いつわりは全然無い。

もちろん、受け取った遺伝子も違うし、私の身体も違う。
年齢も10年近く違う。
不思議なものだ。



チェンマイの話がなければ、去年の4月、裕也さんと一緒に、タイへ出張することも無かっただろう。

あの出張で、私達は実感したのだ。

2人一緒に、海外暮らしがしたいって。

そして年内に、実現してしまった。

物事が決まる時・実現する時は、こちらの意思云々より、何事も待ったなし。早いものだ。




去年の今頃、1年前。
チェンマイ行きの話をしていたのか〜、と思うと、不思議な気分。

そしてもうすぐ、私達の前に、天使が姿を見せてくれる。




案の定、こうして書くだけで、けっこう体力使ったけど、、

やっぱり書いてよかった!

さっぱり!




これで気持ち良く、ポコを出迎えられる♡




待たせたね、ポコ。

思いっきりパパとママに甘えに、お外の世界へ出ておいで♡