2015年7月31日金曜日

綺麗になって、いいんだよ。

先日、お友達でウォーキング講師のYOCOCOちゃんに、
「歩き方」を教えてもらった。


キッカケは、この考えから。

「身体の使い方」
http://www.yuco.me/2015/07/blog-post_17.html



「私ね、女の人は、絶対キレイな方が良いと思うんだ!!!」



と、キッパリスッキリ言ってくれる彼女。


うんうん!その通り!!

そう言い切ってくれるYOCOCOちゃんが、また眩しい。



彼女に歩き方を教えてもらった事で発見した事が、いくつかあった。

たかが「歩き方」じゃない。

これは「生き方」であり「魅せ方」。



自宅でのマンツーマンレッスンで、
歩き方を教えてもらいながら、
他に誰もいないというのに、
なぜか湧き出てくる

「なんか恥ずかしい」

という思い。

もし、上手く出来ちゃったら…
なんだか恥ずかしい!!

というような。

そして、わざと上手くやれないようにしているような…??



ここに私は大きな矛盾を感じたよ。

というか、過去にこんな事、
たくさんしてきた気がしたよ。

私、正直、何でもデキる子だったからさー。

わざと正解じゃないこと言ってみせたり、
わざと下手っぽくしてみたり、
わざと出来ないフリしてみたり。

学校に復帰してからかなぁ。
(小3-4年は登校拒否ってた。)
なんかうまく周りに馴染もうとして。
「出来ない」っていうのが、羨ましかったんだよね。
だって出来ないのって、なんかすごく人間的だから。



でも本当は、、

キレイになりたいのに、
上手に歩きたいのに、
なぜかそれを歓迎していない、私。

キレイな自分も、
上手にに歩ける自分も、恥か??

恥じゃないでしょ!!

じゃ、なぜ恥ずかしいと感じる??



その時はスグにはわからなかった。

それは心のどこかにある
「キレイになる事へのブレーキ」。

自分の事をキレイじゃない、
と思うメリットがあるから、
そういうブレーキを持っている。


なんでそれをもっているのか?
何故だかよくわからなかった。

でも、とりあえず、
習ったとおりに数日歩いてみた。
四六時中意識するのは難しいけれど、
気付いた時はスッスッと歩いてみる。

YOCOCOちゃんが教えてくれた歩き方をすると、
産後に感じていた腰痛がとてもラクだし、
なんだか元気になるし、
お腹があったかい。


そして、あるとき気付いた。

それは、、

周りと同じでいたい」
「出る杭になりたくない」

というやつだった。



 そしてそもそも、その

「周りと同じでいたい」
「出る杭になりたくない」

という思考自体が、
自分を周りと比較している思考なんだ、
という事に気が付いた。


そりゃぁさ、
何をしようとしても、
苦しくなるよ。

自分より優秀な人は、
絶対に存在するわけだから。

比べたらキリがないよ。

美しさも、豊かさも、何もかも。



ようは、自分が、
自分自身という一番身近なパートナーの事を、
どう思い、どう扱っているか?
っていうこと。


そして周りは、
単純に、その投影なんだよね。


やぁぁっと、腑に落ちて気付いたー。


だからだから、
「自分が認めた分しか受け取れない」んだよね。

美しさも、豊かさも。



反対に、自分が自分自身に対して、
どこまでも心地よくなれる程に、
自分の長所を素直に、

認め、認め、認め、認め、

ただただ、認め続けたら、、

受取れる器は、
その分もっともっと大きくなっていくよね。

というか。

本来の大きさに、戻っていくよね。

そしてもっともっと、
自然と美しく、豊かに。

本来の美しさと豊かさを取り戻せていけるように、なっていくよね。




「キレイね♡」
って言ってもらって、

「お世辞だーー」とか、

「おべっかだーー」って、

心の中で思う事があるのであれば、

それは自分が、そういう事をしているから、だね。

自分自身に対して、
本音じゃない事をする事があるってこと。

同時に、周りにもね。



そんなのは、サッサと辞めたらいいんだね。

あ、特に女子は、ね。



YOCOCOちゃんに教えてもらった通り、
丹田を引き上げることを意識し始めて、
私は本音を押し潰す事があったんだな〜
って事に気付けたよ。



丹田は、自分のど真ん中。

ほんとの自分がいるところ。

ここは、絶対に潰しちゃダメ。

私の腰痛は、それを教えてくれていたんだね。



この歩き方を続ける事で、
今度はどんな発見が出来るかな?

体型も変わりそうな気がするし、
声色も変わりそうな気がする!

またどんな変化に出会えるか、
気付きがあったときに書いていくよ!


昨日、はるさんと♡


2015年7月29日水曜日

幸せの循環。お給料はタンブン。

「レックさんがいないときは、
奥さんいつもハルと一緒なんだから、
休めるときに休みなさい!」


って、レックさんが私を、一人時間に送り出してくれた。


今朝のはるさん。


今日はお手伝いさんの、レックさんのお給料日!

私は最近、お給料はタンブンなのだと気付いた。



>> タンブンの「タン」の意味は「なす、行う、する」で、「ブン」はパーリ語(上座部仏教の聖典で使用されている言語)で「プンニャ」と言い、意味は「福・善・福徳、功徳」です。すなわち、「タンブン」とは、「福徳をなす、善を行う、功徳を積む(こと)」の意味になります。 





相手がしてくれたサービスや物に対する感謝を、金銭で表す。

お給料は、目に見える「感謝」そのもの。

足りなくても、多過ぎても、心に違和感を生む。

反対に言えば、「感謝」として受け取れる分だけが、受け取る事ができる。




レックさんは、田舎の実家に仕送りをするため、家族3人でバンコクに住み、働いている。

本当は、バンコクより田舎の方が、静かだし空気もいいし、好きだって。

それでも仕事の機会があるバンコクで働き、田舎に仕送りをするのは、これまで生み育ててくれた両親への感謝、タンブンなのだと。




瞑想会に通っていたときのお坊さんも言っていたのだけれど。

これまでの人生において、絶対に自分1人では成し得ないことがあった、と。


それは「生まれてくること」。


そして幼いうちは、誰かの世話なしでは生きていけない。

尊い時間と、労力を注いでくれた両親への、感謝。

それを金銭という形で表し、タンブンするのだ。




システマチックな世の中にいると、そういう事を忘れがち。

お金を払っているから、働いてもらって当然、じゃない。

レックさんが来てくれるようになってからの生活の変化は大きい。

参照: お手伝いさんが来てくれるようになって、健康になった
http://www.yuco.me/2015/07/blog-post_95.html?m=1



そして最近。
レックさんが来てくれるようになって、
はるが、少しタイ語を喋るようになったし、
(ไป 行く、บอล ボール、等。)

お片付けが出来るようになったし、

拭き掃除を真似るようになった。

私も、こうしてよりタイという国への理解が深まっているし、
何より気持ちがラクになった。



そんなわけで、掃除や洗濯だけではなく、
決して安くないお給料だけれど、
それに十分な仕事をしてもらっている。



そうそう。

レックさんがいてくれるお陰で、
裕也さんと週1でランチデートできるようにもなった。

昨日のランチデート。



ほんの1時間でも、
ゆっくり美味しい物を食べて、
ゆっくり2人で昼間にお喋りできるのは、うれしい。


そんなランチデートの帰りに、
レックさんと息子さんに、
裕也さんがプレゼントを買ってくれた。


とっても喜んでもらえて、
それもまたうれしい出来事。



タンブン。幸せの循環。



そして、
レックさんに働いてもらっている事が「あって当然の事」ではないように。

両親が元気でいてくれること、
ここまで生み育ててくれた事も、
「あって当然の事」ではない。


そして裕也さんが、毎日一生懸命働いて、家族を養い、家にお金を入れてくれること。

これも「あって当然の事」では無いのだなぁ、と。

そんなことも、
やっと心の底から気付かせてもらった。



そんなこともあり、
今朝、お給料を渡したレックさんが、
冒頭のように私に言って送り出してくれた!

1人の時間も欲しい。

だけれど、はると一緒の時間も愛しい。

そんな風にダラダラと出掛けずにいる私に、

「大丈夫!行っておいで!」

と、声を掛けてくれたのだ。



帰って来たら、はるは寝ていた。

レックさんが寝かし付けてくれた。



はるの面倒を見ながらやれる家事には限界があるから、
全て完璧に仕事が終わっているわけではないけれど、
私にとっては十分キレイになっている。


そして元気になった私が、
はると機嫌良くその後の時間を過ごし、
裕也さんの帰りに合わせてお夕飯を作る。

かんぱーい!


お夕飯〜はるが寝るまでの間は、
裕也さんとはるが一緒に過ごせる、
2人にとっても貴重な時間。



我が家の中の、そんな幸せの循環。





2015年7月26日日曜日

出しちゃえ、出しちゃえ。

「もっと遠慮なくやっていいと思うよ」

と、昨夜のお喋りで、
裕也さんに言われたのは、

私の中の「出し切れていない部分」が、相手に見えているからだ。

先日友人にも、同じような事を言われた。

それらはまるで、他人を通じて、
人生が私に語りかけているような感じがする。

それに、便秘のぽっこりお腹を見られたような気分で、なんだか気恥ずかしい気もする。

自分では隠し切れているつもりでも、
いろんなものは、ちゃんと周りに見え隠れしているのだ。

そして、そんな部分もある「わたし」のことを、ちゃんと受け止め、このままでも十分に愛してくれている。



私は本来、すごくエネルギッシュで、パワフルな人間だと、自分の事を思う。

幼い頃、そうだったから。

そういう自分を抑え込んで、
そのエネルギーの矛先を、
外ではなく内に向けた。
いろんなキッカケや経験からね。

そりゃぁー、体調も崩すわね!

私のめまいは、本当にそういうものだと思う。

めまいのある自分は、弱い自分だと思っていたけれど、違うね。

パワフルすぎて、エネルギーや感情を、溜め込み過ぎたんだね。

育児始めてから、外にパワーを出さざるを得ないからか、めまい出にくくなったもんね!



私は本来、もっと外へ出て行けるタイプの人間だ。



出す事は、怖い。勇気がいる。


でも、幼い頃の自分は、
そんなこと知らず、勝手にやっていた。
感じた事をサラリとそのまま、外に表現していた。



そこの自分に、還ろうと思う。



そういう自分に、無限の可能性を感じるから。

はい♡ 自撮り♡