と思っていたら、
まさかはるさんが高熱を出して、
お産〜お産直後のあの頃を、
こんなにリアルに思い出させてくれるとは、思わなかった。
リアルに思い出せる、今書こう。
まずは《出産編》。
出産予定日を2日過ぎた、
2014年3月14日 am5時頃。
なんとなくお腹が痛いような、
腰が重だるいような生理痛的な痛みを感じて、目が覚めた。
隣で寝ている裕也さんを起こさないように、
そっとトイレに行ったら、
なんと、おしるし。
おぉ!!!
きたか!!!
おしるし、きたか…!!!
と、一人でしばし、密かに興奮。
単なる出血ではなく、
"おしるし"であろうというのは、
直感でわかった。
そして「ついにポコに会えるんだ…!」と、うれしくなった。
その時点ではそこまでお腹も痛くなかったのもあり、
出産への恐怖は、意外とあまり感じていなかった。
でも、陣痛ってちゃんとつくかわからないし、、
どんなタイミングで裕也さんを起こそうかな?
そわそわしつつも、
痛みの間隔を計ってみたら、10分毎。
おぉ!けっこう規則的じゃん!
キタね!こりゃ陣痛だね!
と、確信し、
「あのぉ〜。
おしるしと陣痛が来ました♡
ついにポコに会えます♡」
と、裕也さんを起こしてみた。
(am 5:30)
そうかぁ〜〜。
じゃぁ、出掛ける準備をして、
病院に電話をして、行こうかね!
と、淡々と準備をし、
コンドミニアムのトゥクトゥクで病院へ。
約5分弱の近距離だが、
トゥクトゥクの揺れが、
お腹に響いたのを覚えている。
両実家にも連絡を入れ、病院へ。
タイでは「陣痛室」のようなものはないので、
すぐに分娩室に通してもらえる。
分娩室に入って、すぐに破水。
ほほー。これが破水か。
いよいよ出産のときなのね、
と、感慨深い気持ち。
お腹は、痛いけれど、そんなに我慢できないほどじゃない。
私は「アクティブバース室」という自由度の高い分娩室を選んでいたのだけれど、
そこにあるバランスボールが、最高に心地良かった。
痛み逃しに一番効く。
am7:00にアクティブバース室に入り、
陣痛の痛みも計測するものの、
pm15:00くらいで、やっと子宮口開大5-6㎝くらい。
とにかくゆっくり。。
そしてなんと。
コレは、もはやネタだけど、
裕也さんは、陣痛に耐える私を病院に置いて、
カメラを買いに行きました。笑
どうしても、ポコの出産シーンを良いカメラで収めたい!と。
そんなわけで、裕也さんが戻ってくるまで、
耐えられない痛みが来ませんように。。
と思っていたのもあるのだけれど、
痛くても、まぁ耐えられる程度。
でも、まぁ、カメラを買いに行く前に、
裕也さんが予め私の友人達にリクエストしてくれていたという、
「出産への応援メッセージ」
を、web掲示板?にまとめてくれていたのを見たのです。
これはもう、本当に感動しました。
ほんと、友人達にも、裕也さんにも感謝!!
この日はとても心の忙しい日でした。
そんなわけで、裕也さんがお買物から帰って来て、17時頃。
担当医のプラピー先生が、
「あまりにも子宮口が開くのが遅いし、この数時間ほとんど陣痛がついてないから、帝王切開でもいいですか?
時間が長引くのは、お母さんにとっても赤ちゃんにとっても苦しいです。」
と、聞きに来た。
まさかの帝王切開のオファー!!
帝王切開なんて全然考えてなかったから、
「へ?!」ですよ。
考える時間を1時間もらい、
お腹に手を当てて、ポコにも聞いてみました。
ポコはどちらとも言わず、
「ボクも今けっこう苦しい」
という印象だった。
そして、、
その相談の1時間で、急に陣痛がつき始め、
「こ、こ、こんなに痛いのか!」
と、思い、
先生の再度確認の際に、
「帝王切開にします」
と、弱々しく答えた。
お薬をなるべく使いたくなかったから、
促進剤や麻酔を何度も打つより、
帝王切開の方が良いと思っていた。
それもあって、
帝王切開への踏切は、早かったかも知れない。
帝王切開への返事をしてからの病院の対応は、凄まじい早さで、
アクティブバース室から手術室へ、
あっという間に移動。
むしろその早さに圧倒され、
心の準備が間に合わない感じがして、
ドキドキと恐怖を感じていた。
でも、私が怖がったら、
ポコがもっと怖がってしまう…!
と思い、母は強し、で踏ん張った。
麻酔が打たれ、それまでの陣痛の痛みが消えた。
麻酔を打つ間は、裕也さんとは離れ離れ。
少し心細かったけれど、
麻酔後に会えて顔が見れた時は、
心からホッとした。
冷たい感じのする手術室だけれど、
裕也さんが、私が気に入って聴いていた、
MINMIの「キセキ」
を、ケータイで流してくれた。
タイの病院だからなのかわからないけれど、
誰も咎めなかった。
とにかくポコの事が気になっていた私は、
心地良い歌の傍らで、
お腹の感覚に集中していた。
ポコが、恐怖からなのか、
出渋っている感じがした。
「ポコちゃんの大好きな、プラピー先生だよ。
ママもパパもいるから、安心して出て来ていいよ。」
ポコは、妊婦健診のとき、
プラピー先生がお腹に触れると、
喜んでいるように、良く動いていた。
だから、そう声を掛けてみた。
そうしたら、声を掛けたとほぼ同時に、
スポッとお腹から、何かが出た感じがした。
と、同時に、天井の方を、
ぶらーんっと何かが横切った!!
赤ちゃんだ!!!
ポコだ!!!
あまり大きな声ではないけれど、
しっかりと泣いている!!!
私は、自分の身体から離れてしまったその子を、
早く早く抱き締めたくて、仕方なかった。
でも、帝王切開では、そうはいかない。
手際よく出産後の処置を施されたポコが、
おくるみでぐるぐる巻きにされて、
やっと私の顔の真横へ。
小さい!!!
そしてパパの手の平へ。
うわー!先に抱っこしてる!!
ずるい!!
でも、私が抱っこ出来ない分、
パパがいてくれて、良かった!!
と、一瞬の間に、そんな事を考えた。
ポコに会えた興奮から、
帝王切開の処置をしていたことや、
麻酔を足された事などは、
良く覚えていない。
でも、
「今日はプラピー先生のお誕生日なんだよ!」
と、陣痛中に、看護婦さんから聞いていた事は覚えている。
赤ちゃんが別室に連れて行かれてから、
「プラピー先生!ありがとう!!
ハッピーバースデー!!」
と言ったことだけは、はっきり覚えている。
はるは、同じお誕生日の先生に、取り上げてもらった。
回復室で目が覚め、
私は出産後すぐ抱き締められなかった赤ちゃんの事で、
頭がいっぱいだった。
お腹から出たら、すぐに抱っこしてあげるねって、
約束していたのになぁ…と。
回復室の看護師さんに、
「早く赤ちゃんに会いたい」と伝えた。
目が覚めてから、15-20分後くらいだろうか。
入院部屋に運んでもらい、
そこでやっと、裕也さんと、ポコに会えた。
気掛かりだったポコは、
他の赤ちゃん達が、みんなパパの抱っこで泣く中、
1人だけ泣いていなかったという。
妊娠中の声掛けを聴いていたのが、
ポコはちゃんとパパのことをわかっていた様子。
ポコが泣いていなかった、というだけで、
私はとてもとても安心し、
妊娠中たくさん一緒に過ごしていて良かったなぁ…と思った。
そして、初めての授乳にトライ。
全然おっぱいは出なかったけれど、
腕の中にポコがいるだけで幸せだった。
先生には24時間同室は勧めないって言われてたけれど、
私は24時間同室でないと落ち着かなかったから、
24時間同室以外、考えられなかった。
眠る時も、ベビーベッドではなく、
同じベッドの上に寝かせた。
ずっと抱っこしていたい、
ずっと眺めていたい、
そう思った。
生まれたてのポコは、
しわしわのお顔で、顔にはアザ?もあって、
なんか大変だったんだねぇ、って思った。
後日先生から聞いた話によると、ポコは、
普通の赤ちゃんが頭頂部を子宮口に突っ込んで出ようとするのと違い、
顔面を子宮口に突っ込んでいたらしい。
顔のアザは、その跡なのかなぁ。
(このアザは、次の日には消えていた。)
そのポコの姿勢が、子宮口開大の早さに影響したかはよくわからないけれど、
とにかく今回は切って良かったみたい。
帝王切開にしたのは、ある意味直感だったけれど、
今回はコレでよかったなぁ、
何より元気に生まれてくれて、
本当に良かった…と思った。
そんなお産だった。