2015年7月29日水曜日

幸せの循環。お給料はタンブン。

「レックさんがいないときは、
奥さんいつもハルと一緒なんだから、
休めるときに休みなさい!」


って、レックさんが私を、一人時間に送り出してくれた。


今朝のはるさん。


今日はお手伝いさんの、レックさんのお給料日!

私は最近、お給料はタンブンなのだと気付いた。



>> タンブンの「タン」の意味は「なす、行う、する」で、「ブン」はパーリ語(上座部仏教の聖典で使用されている言語)で「プンニャ」と言い、意味は「福・善・福徳、功徳」です。すなわち、「タンブン」とは、「福徳をなす、善を行う、功徳を積む(こと)」の意味になります。 





相手がしてくれたサービスや物に対する感謝を、金銭で表す。

お給料は、目に見える「感謝」そのもの。

足りなくても、多過ぎても、心に違和感を生む。

反対に言えば、「感謝」として受け取れる分だけが、受け取る事ができる。




レックさんは、田舎の実家に仕送りをするため、家族3人でバンコクに住み、働いている。

本当は、バンコクより田舎の方が、静かだし空気もいいし、好きだって。

それでも仕事の機会があるバンコクで働き、田舎に仕送りをするのは、これまで生み育ててくれた両親への感謝、タンブンなのだと。




瞑想会に通っていたときのお坊さんも言っていたのだけれど。

これまでの人生において、絶対に自分1人では成し得ないことがあった、と。


それは「生まれてくること」。


そして幼いうちは、誰かの世話なしでは生きていけない。

尊い時間と、労力を注いでくれた両親への、感謝。

それを金銭という形で表し、タンブンするのだ。




システマチックな世の中にいると、そういう事を忘れがち。

お金を払っているから、働いてもらって当然、じゃない。

レックさんが来てくれるようになってからの生活の変化は大きい。

参照: お手伝いさんが来てくれるようになって、健康になった
http://www.yuco.me/2015/07/blog-post_95.html?m=1



そして最近。
レックさんが来てくれるようになって、
はるが、少しタイ語を喋るようになったし、
(ไป 行く、บอล ボール、等。)

お片付けが出来るようになったし、

拭き掃除を真似るようになった。

私も、こうしてよりタイという国への理解が深まっているし、
何より気持ちがラクになった。



そんなわけで、掃除や洗濯だけではなく、
決して安くないお給料だけれど、
それに十分な仕事をしてもらっている。



そうそう。

レックさんがいてくれるお陰で、
裕也さんと週1でランチデートできるようにもなった。

昨日のランチデート。



ほんの1時間でも、
ゆっくり美味しい物を食べて、
ゆっくり2人で昼間にお喋りできるのは、うれしい。


そんなランチデートの帰りに、
レックさんと息子さんに、
裕也さんがプレゼントを買ってくれた。


とっても喜んでもらえて、
それもまたうれしい出来事。



タンブン。幸せの循環。



そして、
レックさんに働いてもらっている事が「あって当然の事」ではないように。

両親が元気でいてくれること、
ここまで生み育ててくれた事も、
「あって当然の事」ではない。


そして裕也さんが、毎日一生懸命働いて、家族を養い、家にお金を入れてくれること。

これも「あって当然の事」では無いのだなぁ、と。

そんなことも、
やっと心の底から気付かせてもらった。



そんなこともあり、
今朝、お給料を渡したレックさんが、
冒頭のように私に言って送り出してくれた!

1人の時間も欲しい。

だけれど、はると一緒の時間も愛しい。

そんな風にダラダラと出掛けずにいる私に、

「大丈夫!行っておいで!」

と、声を掛けてくれたのだ。



帰って来たら、はるは寝ていた。

レックさんが寝かし付けてくれた。



はるの面倒を見ながらやれる家事には限界があるから、
全て完璧に仕事が終わっているわけではないけれど、
私にとっては十分キレイになっている。


そして元気になった私が、
はると機嫌良くその後の時間を過ごし、
裕也さんの帰りに合わせてお夕飯を作る。

かんぱーい!


お夕飯〜はるが寝るまでの間は、
裕也さんとはるが一緒に過ごせる、
2人にとっても貴重な時間。



我が家の中の、そんな幸せの循環。