私は10代の頃から「書く事」が習慣になり、好きなった。
それでも「後で書こう」を溜めすぎると、
便秘みたく、溜めたものは簡単には出て来なくなってくる。
特に、書き出しは簡単じゃない。
そんな事もフラットに書きつつ。
等身大の自分を、思いっきりココで表現したい。
どこから書いたら良いか、なんてわからないんだけれども、
思い浮かんだ言葉を、どんどん入力していく。
これだけでも、けっこう気持ちが良いものだ。
結婚当初、旦那さんとよく、
「フルオープンっていいよね!」
って話をしていた。
そして、旦那さんもブログを始めた。
→ 古川裕也ブログ:yuya.me
この「フルオープン」。
最近では「自己開示」と言われたり、
知人は「スケルトンライフ」と表現したり。
いろんな呼び方があるけれども、
そんなこと自体よく知らなかったし、
自分を特別オープンにしたいと思ったわけでもないのだけれども、
頭に流れ出てくる言葉をこうして入力していくと、気持ち良いし、
これぞ自己表現だと感じる。
しかもそういう文章ほど、
公表する事で面白い反響が帰って来る。
これはまるで、私達が出した二酸化炭素を、樹が酸素として排出してくれるような、不思議で自然な摂理だ。
読み手の受け取り方や反応を計算して書いているうちは、そういう反応が返ってくる。
妊娠前、時間も体力も自分次第で生活していた頃は、好きなペースで好きな事を書いていた。
そうすると、ちゃんと必要な人の所に届くし、面白い反応が返って来た。
最近、そういう事がお休みになってしまって、一味足りない気分になっていた。
自分の中の大切なものやアイデンティティのようなものが、欠けしまっているような気分だった。
「感情」と「情報」は同じ属種で、どちらにも「情」がある。
取り入れた情報や、自分の中に出て来た感情は、
たまに出すか、常に何かの方法で出しておかないと、
それは自分にとっての負の財産になる。
それが贅肉になる人もいれば、
病気になる人もいるし、
余分な水分(浮腫みや胃液)になる人もいるし、
気付くか気付かないかは別として、
人によって身体の弱い所に出がち。
とにかく全ては諸行無常なのだから、
なんでも循環できる様に、出す事が大事だ。
出したいものを出したいペースで出していけば、
そこには自ずと自分らしい作品が出来上がって来るように感じている。
お化粧や装飾や包装は、中身あってこそのものだ。
まずは出して出して出しまくって、
「自分」という素材を知る事。
中身がお粗末で、外見だけ立派なものも、世の中にはたくさんある。
でもそれは、私にとって心地良いものではないし、目指したいものでもない。
そして出せば出すほど、入ってくる。
世の中とはそういうもの。
出せば出すほどに空になるのではなく、
むしろ中身が充実していく。
そう感じている。
だからこれは、バンコク在住の日本人、古川裕子がお届けする、
フルオープン海外生活ブログ。(長)
もっと適切な表現が見つかったら、変更するけどね。
当面そんな感じ。
あ、自撮り画像を貼ってるのは、
今の自分を表現したいのと、
最近使い始めたビューティ自撮りアプリが優秀で、
思わず自撮りしたくなるから♡
やっぱり自分大好きよ♡