わー!赤ちゃんに会えたねー♡
かわいいねー♡
あ、赤ちゃん泣いてるよ!
お腹が減ったみたいだよ!
お乳、お乳…
って…
いやぁ、出ないっす。( ; ; )
ポコは一生懸命おっぱいを吸うのに、
一向に出て来ない、私のお乳。
帝王切開だったから、お産の次の日は丸一日動けなかった。
でも「ベッドから一歩も出ていない」事を忘れるほど、
私は目の前の赤ちゃんを泣き止ませること、
そのためにおっぱいを出す事に必死だった。
お産直後のホルモン不安定もあり、
もう「おっぱいが出ない」というだけで、なんだか泣けてくる。
ポコ…
こんなにお腹を空かせても、
一生懸命おっぱいを吸っているのに、、
全然おっぱい出て来なくて、
母ちゃんごめんね…
という感じで。
日本の産院だとおっぱいマッサージをしてくれたりするみたいだけれど、
そんなのないから、自分で一生懸命マッサージをしてみる。
マッサージの方法をネットで調べていたところ、
「母乳が血液から作られる」事を知った。
プラピー先生にも、小児科の先生にも、
「絶対おっぱい出るから大丈夫!」
と、励ましと太鼓判をもらい、
まさにそれを励みに、
とにかく吸わせる&搾乳する。
今思えば、この先生達の
「絶対大丈夫!」
という言葉が、
一番私を安心させてくれたと同時に、
母乳育児へのモチベーションを上げてくれたと思う。
そしてとにかく、
何でもいいから水分を摂れ!
と言われたので、
日がな一日何かしら飲んでいた。
普段は水と少量の麦茶くらいしか飲まないけれど、
この頃は、
・ジュース(ライチ、ストロベリー、グアバなど。タイは種類豊富!)、
・ローファットミルク、
・病院内のスタバのディキャフのラテ、
・毎食後にジンジャーティー、
などなど。
とにかく、普段なら十分に浮腫めるくらいの水分を摂った。
お産直後から急に味覚も元に戻り、
ご飯も美味しくなったので、
(妊娠中はお味噌とネギ類がNGだった)
とにかくモリモリ何でも食べた。
裕也さんのご飯にも手を出したりして、
1日4〜5食は食べていた。
2-3日目にうっすら母乳が出た時は、
感動モノだった。
ポコ(まだ名前も付いてなかった)が、待ってくれている。
まず、ママがしっかり食べて、おっぱいを出さなくちゃ!
それでも3日目辺りに、
ポコの体重不足でミルクを足さなきゃいけなくなったときは、
「ママの努力不足」
と言われているようで、
涙が出そうになった。
まぁ、そんな風に過敏に感じてしまうのも、
産後のホルモンのせいなのだけれど。
30㎜程度のミルクを、スプーンでパパからもらい、
リラックスしてぷりぷりとう◯ちをし、
眠りにつくポコちゃん。
あぁ、ママじゃなくてもいいのね…
そんな風に思って、また心がシクシク。
まぁ、それも産後のホルモンうんちゃらのせいなのだけれど。
新米パパ。
入院中、裕也さんには話していたけれど、
「おっぱい出てるの?」
この素朴な質問が、一番傷付いた、、
とは言っても、後々聞いた話によると、
「おっぱい出てるの?
まぁ、すごいわねー!」
という、
続きがある一言のようです( ´ ▽ ` )
なぜならば、
お産直後からおっぱいがちゃんと出る人は稀なようで、
多くの人が私のように最初は苦労しており、
昔はミルク育児も持て囃されていたから、
出ないならミルク♪と、切り替えも早かった様子。
帝王切開のため、4-5日目で退院の予定が、
はるさんに黄疸が出たため、延泊。
結局6泊7日、けっこうゆっくり入院させてもらった。
長引いたけれど、家に帰っても助けの手がない事を思うと、
ゆっくり入院できて、よかったな〜と思った。
ポコの名前も、決めるのにすごく時間が掛かった。
予め候補はいくつかあったのだけれど、
実際顔を見てみたら、なんか違う。
どれもこれもフィットしない。
そろそろ書類を提出しないと!
というギリギリの日に、
裕也さんの言葉を、私が、
「今、"はるちか"って言った?」
と、聞き間違えた事で、
「はるちか」、いいね!
となり、名前が決まった。
漢字は画数も加味した当て字で、
「晴千迦」
仏教国生まれである事と、
(お釈迦様のように)多くの人の心を晴らす、
という意味が込められている。
そんなはるさん。
一週間たっぷりお世話になった病院スタッフには、
もう感謝ばかり。
沐浴の仕方、オムツの替え方、
赤ちゃんのあやし方などなど、
これから2人で子育てする私たちに、
色んな事を教えてくれました。
さぁ、これからが育児本番スタート。
一週間帰ることのなかった、
徒歩5分の距離のお家に帰ります。