子供の安全やコミュニケーションに気を配りながら何かをする事は簡単じゃないし、
こちらがどんな状況にあっても、命を預かっている緊張感もある。
その一方で…
「育児は大変だ」という思い込みが、育児の大変さを招いている部分もあるのかも、と、ふと思った。
親バカだが、はるさんは本当に良い子だと思う。
歩き出し、身体を自由に動かせるようになってから、はるさんのコミュニケーション能力は、言葉が喋れない以外、わたし的にほぼ満点。
「抱っこ紐取ってきて〜」とお願いすれば、ちゃんと持ってくるし、
「うどん食べる?」と聞けば、頷くか首を振るかで、キチンと答える。
「どうしたい?」というようなボンヤリした質問(オープンクエスチョン)には言葉の壁があって答えにくいけれど、
「どっちがいい?」というような二択の質問(クローズドクエスチョン)にはジェスチャーで答えられる。
私が「イライラしてごめんね」と言えば、頷いて頭を撫でてくれる。
私が泣いていると、頭を撫でて、オモチャを持って来て、笑顔を見せてくれる。
「せっかく作ったフレンチトースト、床に落としたら、ママ悲しくなっちゃうよ」と言ったら、手を合わせて2回頷いて頭を下げ「ごめんね」をした後、私の頭を撫でてくれた。
私がお手伝いさんにはるを預けて外出するとき、出る前にはるは「一緒に行く」とごねる。
でも「ママにも時間を頂戴ね。11時には帰るから、レックさんと遊んで待っていてね。」と言ったら、少しごねた後、ちゃんと手を振って見送ってくれた。
初めての育児で、子供の事は何もわからない私だけれど。
何もわからないぶん「子供は人の話していることを理解している」と心から信じているからか、はるさんのそういう部分ばかりに目が行く。
反対に「はるはまだ喋れない」と思っているからか、はるの言葉が増えた事に、友人の方が気付いてくれる。
「今はるくん◯◯って言ったよ!」って。
ひょっとして、はるさんちょっと喋れるのかも?と思ったら、どんどんはるの言葉も聴き取れるようになってきた。
「あめ」や「いーこ、いーこ」。
『思考』というフィルターは、こんなにも私の見える世界を変えてくれる。
私は…
育児は大変だって、思いたいと思ってた。
世間一般のママ達が味わっているような大変さ、私も味わってみたいと思ってた。
それは、人を理解する事になると思ったから。
そして今、ママ達の「大変」がよくわかる。
ママ友と「大変だよね。でも可愛いよね。」って話せる事が、正直楽しいし、嬉しい。
でも、今は。
子供と一緒にいられる今の時間を、思いっきり充実させて、楽しみたいと思う。
そのために自分の時間も取って、心と身体のメンテナンスもしたいと思う。
そのときに「育児は大変」っていう思いは邪魔になると思うから、もうこの思いは手放そうと思う。
この思いを持っていたお陰で、学べた事がたくさんあるかね。
どうもありがとう!だな。
とは言っても、育児中は目の前の事に一生懸命になるから、こういうの忘れそうになる時もあるだろうけれど、気付けたこの一歩はえらい。
さて、そろそろはるさんをお迎えに帰ろう。