2015年8月16日日曜日

チャアム旅行へ家族時間。それまでの経緯。前編。

チャアムに来ています。



キッカケは、2週間くらい前に、
私が「最近、家族の時間がない」
と、ゴネたこと。

その場で裕也さんからの提案により、ホアヒン(チャアム)行きが決まり、
ホテルを取り、
結果、
初めて「仕事抜きの」家族旅行になりました。



今朝の朝日。


「あのとき、裕子に一言言ってもらえてよかった」

と、昨夜シーフードを食べながら、
裕也さんが言った。

私も、勇気を出して言ってヨカッタ。




ここ1ヶ月半くらい悶々としていた。

正確に言うと、
アヤさん(お手伝いさん)が来てくれるようになるまでのカオス期間もあったから、
どのくらいの間だったかって、わからない。

アヤさんが来てくれるようになる前、
カオスだったけれど、
裕也さんと話していたから、
私は「家庭」で充電してこれた。


アヤさんが来てくれるようになってからの1ヶ月半。

今回はこの1ヶ月半について書き記したい。




この1ヶ月半の悶々期間より以前は、
とにかく自分の抱えているプロジェクトが手いっぱい、
家事や何かの日々のタスクもやる余裕なし、
裕也さんも仕事も忙しいながら、
家事をやってくれている。

さぁ、とにかく余裕がない。

という感じ。


状況を整理したくても、
整理する心の余裕がない。

些細な事で泣けてくる。

はるの些細な行動にイラつく。

はるは何も悪くないのに。

はるに八つ当たり、はるに謝る、
そしてまた泣ける。

そんな感じだった。




でも、
アヤさんが来てくれるようになった事と、
抱えるプロジェクトを見直した事で、
私の生活は格段に落ち着き、心地良くなった。

悶々も、
自覚して悶々するのと、
カオスの渦に飲み込まれっぱなしになるのとでは、
違うね。

アヤさんが来てくれたことで、
飲み込まれっぱなしにならなくてすんだから、
本当にアヤさん様々。



その一方、
アヤさんが来てくれるようになったことで、
裕也さんはバリバリ仕事へ赴くようになり、
私はアヤさんがいてくれることで
「自分の時間」が確定的になり、
その点ではストレスフリーになった。

が、その一方で、
とにかく【家族の時間】は大幅に減った。



旦那さんが家事に手を出さなくて良くなった事で、
【家族の時間】が減る。

これは、アヤさんが来てくれるようになるまで、わからなかった。

ある意味、盲点だった。




これは、とても複雑な気分になった。



アヤさんがいてくれるようになって、
私の「自分の時間」は、他の用事に流れる事なく、
確実にこの日のこの時間、という風になったが、
その量自体は、以前と変わらなかった。

はるは、アヤさんが来てくれるようになった事で、
ママやパパ以外の人と過ごす事や、
タイ語や、
お掃除の真似事を覚え始め、
少し世界が広がった。



8月におうちオフィスになる前は、
裕也さんの帰宅時間はマチマチで、
お夕飯も何時になるか、わからなかった。

それはつまり、
はるの食事の時間がいつになるかわからず、
寝る時間にまで影響するので、
寝かし付けをする私にはストレスだった。

いっそのこと「パパと一緒に食べない」とすればラクかも知れないが、
そうすることでまた【家族の時間】は減るのだ。



幼い頃、毎週末、土日は家族で出かけるのが、当たり前の実家だった。

けれど今は、
はるさんと2人きりになる土日が、
一番大変。
土日はアヤさんも裕也さんもいないから。

8月からは土曜日も2時間だけアヤさんが来てくれるようになり、
裕也さんも日曜日はなるべく家族といてくれるようになったので、
だいぶラクになった。


これまで「いつも家族一緒」だった出張も、
効率重視で裕也さん一人で行くようになった。

突然の方向転換で、
私にはトップダウン的に感じられた。

「なんで急にそうなった?」

そんな話をする時間も機会もなく、
日々が流れていった。



その矢先、効率化の一部として、
この8月から自宅をオフィスにする事になった。

キッチンのある場所、
今までリビングだった場所がオフィスになる事に、
私や息子が邪魔にならないか、
最初は不安にも思った。

そして今月から、
自宅オフィスが運用され始めた。



ちょうどその頃、
私は【腸揉み】というイベントに参加。

そこで腸を揉んだら、
敏感な私の身体には、すぐ反応が出た。

稀に見るような、
すごくすごーーく良いお通じ(まさに「お便り」)があり、
その後要らんものが出て腸がスッキリとしたからか、
感情のデトックスが始まった。
腸は、脳と繋がっているから。


久しぶりにめまいも出始め、
すごい眠気。



そして私は、裕也さんに、

「正直、淋しい」

と、ポロリと伝えた。




これは、それまでカオス過ぎて、
出すこともできずに溜め込んでしまった感情を、
自分なりに一生懸命噛み砕いて、整理した言葉。


でも、噛み砕きすぎて、
エッセンス化し過ぎていたのか、
そんな事を伝えても、全然スッキリしなかった。


これは、精製されたものを食べる事に似ている。

一物全体で食べない(食べさせない)から、
要件だけ伝えても、届いて正しく消化される感じが無いのだ。



そして、ついにめまいが出て、
(動けないような大変なやつではないけれど、はるのケアには支障)
裕也さんにヘルプ要請まで出して、
スグに帰って来てもらったとき。


私はやっと「そのまんま」の気持ちを、一物全体で出した。



「こんな生活、長くは続けられないよ」

「もーやだ。どうにかして!」

って。




私はもともと、小まめに構ってもらわないと、イヤなタイプだ。

私は…というか、
多くの女性は、そうなんじゃないかなぁ。
女性って、そういう生き物だと思う。

ある日突然100本のバラをもらうより、
毎日コツコツ1輪のバラをプレゼントし続けてくれる方が、うれしい。

いつか大きな家を買う為に、
毎晩遅くまで外で頑張り続けるよりも、
毎日キレイだよ、と言って妻を抱きしめる為に、
少しでも早く帰ってきてもらいたい。

満塁ホームランで会場を沸かせるより、
毎日バントをキチンと決めてくれること。

女性は花だから、毎日お水をあげましょう。

とは、よく言ったもので。



だから私は、
今の家族と未来の家族と自分自身のために、
頑張ってくれているとは頭ではわかっていても、
水のないカラッカラに乾いた状態では、
苦しさしか感じられなかったのだ。



最初は「もっとはると一緒の時間を持って!」と思った。


けれど、それは違うと気付いた。


はるを構ってくれたら嬉しいのは、
その瞬間自分が体力的にラクなのもあるけれど、
それはアヤさんにも頼めることで。

私は、
夫がはるを見てくれる事を通じて、
私自身や、家族へ向けられる、
夫の愛情を感じたいのだ、
と言うことに気付いた。



長くなったので、
次の投稿に続きます。