2015年11月23日月曜日

オーガニックな生き方。オーガニックビューティ。3





パートナーとの関係が良くない方がいたとして、
それを悪く言いたいわけではありません。

私だって、いつ何時でも良い状態というわけではないし、
パートナーや家族を通じて、自分自身を掘り下げさせてもらっているところです。




自分の目では自分は見えなくて、
自分を見るには「写し鏡」が必要です。

身近な家族は、一番自分を見せてくれる「鏡」。

長年積み重ねてきた云々で、もうパートナーとの関係がどうしようもなかったりっていうのは、
私も離婚経験があるし、辛さも含め、よくわかります。


だからこそ。


自分を大事にするために、
パートナーとの状況を通じて、
自分への理解を掘り下げて欲しいと思います。

できたら、1秒でも早いうちに。
そして溝の小さいうちに。

パートナーとの距離は、
自分自身の内側との距離でもあるからです。



ありきたりな言葉ですが、
相手を変えることはできません。
変えられるのは、自分だけ。

離婚してパートナーをチェンジすることはできますが、
向き合うべき課題に取り組んでないないうちは、
新しいパートナーを通じて、
また同じ問題と向き合うことになります。

これが「誰と結婚しても同じ」と言われる所以です。

悪かったら、悪かったなりに、
その状況を通じて、
どう自分が、相手を通じて、自分と向き合っているか。

それが自分を大事にするって言うことだと思うし、
本当の自己肯定なのです。

自分は正しい!相手が悪い!
これは本当の自己肯定ではありません。

相手を信頼出来ないのは、自分を信頼していないから。
そして自分を信頼するために、自分への理解を掘り下げるのです。





足りないものを足そうとすることは、
自分の顔をよく知らずに、
メイクを盛るのと同じ。

単純にまつ毛は長い方がいいからって、
まつ毛エクステしてみたり。

まつ毛エクステ自体が悪いということではなくて、
それ、本当に似合ってますか?

そして心地良いですか?ってこと。

むやみにまつ毛を盛るより、
清楚にくるんとカールさせるだけの方が、
似合う人もいます。

それが、本来持っているものの良さを活かす、ってこと。

日本では特に、
杓子定規にみんなが同じメイク、同じ髪色髪型、同じ服を着る傾向がありますが、
これは「自分の良さを活かす」という発想に出会えていないからだと思います。

横並びの学校教育の下で、そういう価値観を培ってしまうので、
無理も無いですが。





「学ぶ」ことも同じです。

私もお勉強が大好きで、いろんなこと学んできました。

セミナーやら習い事やら、いろんなものに通いました。

知的欲求も満たされるし、お友達もできるし、
参考になったものもたくさんあります。

無駄だったとは思っていませんが、
ずいぶん「学び武装」をしたな〜、とは感じています。

学びすぎの頭でっかちは、盛り過ぎのメイクに通じるものがあります。

頭で理解しようとし過ぎると、
女子本来の「肌感覚で動く」ということを忘れがちになる。

子育てなんて、ほんとに頭ではできないです。
本を読んだり、人に聞く前に、まず目の前のことに対処していく。
子育ては勘が肝。



そして、さんざん学んで気付いたことは、
これって全部、他人の築き上げたメソッドであり、
他人のお話だったんだわ〜、ということ。

それに気付いたら、一度に多くは学べなくなりました。

「もっと◯◯になりたい!」という欠乏感から、
ずいぶん遠くへ探しに出たと思います。
いろんな生活習慣を、自分に課したりもしました。



そして学びの先に、今度誰かへ伝えるための資格を取ったりする。

いや、私が思うに、それ、、、資格の問題じゃないです。

どんな学びも、自分のものにできて、
初めてこうして自分の意見として発信できます。

資格があっても自分のものにできていなければ、
どんなアウトプットも、薄っぺらです。



「楽しいから」で学びに行くなら、
その先に楽しい仲間や、楽しい出来事が繋がるでしょう。

でも、なにか欠乏感を満たすために行くなら。
学んでも、その先に出会うのは、また欠乏感でしょう。
「もっと◯◯しなくちゃ!」

こう感じるのです。