2016年7月1日金曜日

10年間バンコクの変化。

今日、お手伝いさんとも盛り上がった話。



いきなりですが。


タイの屋台飯「ムーピン」の、
見た目と値段の変遷。

https://facebook.com/LikeSara.Axe/ より。



私が初めてバンコクに住んだのは、
2006年。

一番左手のムーピンの頃。



本帰国したのは2010年で、
ちょうど真ん中のムーピンの頃。



写真右手、今のムーピンは、
お肉の量は半分で、値段は3倍。






そうだよね。

やっぱりここまで物価変わってるよね!

と、しみじみ実感させてくれたこの写真。






物価が変わって…

やっぱり街も変わった。






以前はもっとちゃんと「微笑みの国タイランド」だったと思うし、
(無愛想な接客とか、今ほど無かった)
バンコク出稼ぎのタイ人の暮らし方や、
バンコクに住む外国人(私たち日本人含む)の暮らし方も変わった。




それは、
私の立場が変わったとか、
(移住組だとかママになったとか)
そういう違いではなくて。




本当にバンコクという街そのものが、
変わった!!





駐妻さん達の生活は、
10年前と比べたらずっと慎ましいし、
アヤさん(お手伝いさん)へのお給料やチップ、
そういうのも厳しくなっている。



なにせ10年前は、
駐在員のお給料や手当は今より厚かった一方で、
物価はもっと安かったのだから。


今ほど家で食べなかったし、
外食や旅行が多かったよな〜〜とも思うし、
行くお店もキレイな良いところばかりだった。


2005年くらいは、
ちょうど分岐点だったような。


家族用車を与える会社も減り始め、
家賃手当も家賃相場の上昇に比べたら全然上がらずで、
家賃持ち出しで家を借りる人もいたっけ。



そして今では、
タイ人より安くて英語もできる、
ミャンマー人の労働者も増えてたりして。



出稼ぎタイ人にとっては厳しい状況で、
実家に仕送りをするのも難しいみたい。


だからもう「出稼ぎ」というより、
「上京」かな。


うちのアヤさん(お手伝いさん)は、
実家のある田舎に子供を預けずに、
バンコクで家族一緒に暮らしている。



息子さんも、
バンコク市内にある都会の公立校で教育を受けている。



富裕層は私立のしっかりした学校に子供を入れるかもしれないけれど、
同じ公立の学校でも、
田舎で通わせるのとバンコクで通わせるのとでは、
教育の中身や、できる友達も、
全然違うだろうと思う。



きっとそれって、
10年前にはあまり無かったことだ。




「だからどう」

ということもない。


今ある環境の中で、
ただ望むようにやっていくだけ。



けれど、
こうしてひとつの「外国の街」の変遷を、
一外国人として実感することは、
なかなか面白いことでもある。




10年後、
どこに住んでいるかはわからないけれど。


いつかまた今日の日と比較して、

「街ってこんなに変わるのか!」

と実感する日も来るのだろう。




その日のためにも、
この発見や実感を、
書き残しておきたい。