2016年7月31日日曜日

「自分」を生きる。

ブログ大好きなわたしが、
今日まで4件しかブログ更新できなかった(笑)、この7月。




でもさっき、
立て続けに2件更新してみた(⌒▽⌒)




今日書いた記事ではなくて、
先日書いた下書きというか、
単なる自分向けのメモなのだけども。




でも、ブログに載せたくなったので、
思い立って更新。





そんな私の後押しをしてくれたのは、
この2つの記事。



モヤモヤは正の循環を作り出す、
素晴らしいエネルギー

by 経沢香保子さん


感じるままに


by happyちゃん





一見全然世界の違う、
この2人の組み合わせ。笑


いいでしょ♡






これは同時に、私の中に
「こういう一見異なる世界が並立している」
ということでもあると思うのだけれど。




このお二人。

同じ日に、
全く同じような事を書いているなぁって、
私は感じたの。




私はキホン感覚人間なので、
何かを理解したいときは、
(インプットしたいときは、)
happyちゃんのような書き口が理解しやすい。


けれども、
自分の思考を他者に説明したいときは、
(アウトプットしたいときは、)
経沢香保子さんのような書き口をしたくなる。



でも、
どちらも中身は同じだと思うし、
感覚的なアウトプットができることと、
思考的なインプットができること、
そのどちらも欲しい。




モヤモヤしたときは、言葉にして認識すること、そしてできれば学びとして発信すること。それは必ず世界の誰かに届き、その人にプラスの影響を与える。もちろんあなた自身にも。

経沢香保子さん




感じるままに動くのは勇気がいる。
でも思いきってチャレンジしてみたら思いもよらない世界が広がる。

happyちゃん




これ、お二人とも、
同じことを仰られていると思うんです。




そして同時に、これらが、
私がブログ好きな理由です。






でも、自分の気持ちと向き合う事を避けているとき。





気持ちを自覚したら自分が壊れるように感じているときや、

言語化して自覚することがこわいとき。





私は、ブログが書けません。





もちろん、ブログ好きの私でも、

何でもかんでもブログに書いているわけじゃないけれど。

パートナーにすら言語化できない気持ちは、
もちろんブログに言語化するなんて到底不可能だし、
そもそもが自分が自分のハートに寄り添えていないので、
ただただ苦しい。



でも、
自分の気持ちを自覚するのがこわくて、
前向きな思考や何かで、
それを埋めてみたり…

っていう「感情への蓋の仕方」は、
大得意で、長らくやってました。

学生時代と、20代のころ。





でも、当たり前だけれど、
それで身体壊したよね。





私はもともと、
(というか、人間みんなかもしれないけれど)

「自分の本質しか生きられない」タイプ。



器用そうに見えて、
いやなことはやれない。

とっても不器用。




人の顔色を見る事を覚え始めた、
10歳くらいの頃。



私はこわくて、
学校に行けなくなった。




適当にできなかった。

どこまで合わせたらいいか、
人の期待に答えたらいいか、
わからなかった。

そして自分を、
どこまで無くせばいいのかも。

私はどう在ればいいのか。

いつも迷っていた。




それを一番自覚するのが、
給食の時間だった。



みんなが大好きな給食が、
私は大嫌いだった。



だけど、
給食がキライだって、
なかなか言えなかった。


それがつらかった。






「自分の本質を生きる」とか、

「本来の自分を生きる」とか。




私が表現しているソレは、

happyちゃんの言う、

「純度の高い自分」

というやつなのだと思う。





他人のニーズではなく、

自分のニーズに応える。





私は何が好き?

私はどうしたい?




それが大事だとわかっているのに、

他人とは呼べないような相手、

子供や家族の事となると、

どうしてそこの純度を下げて、

相手に合わせたくなってしまうのだろう。





そんなの、
相手だって求めていないのに。




そんなの、ただの、
「あなたのため」っていう、
「エゴ」でしかないのにね。




合わせたり、
頼らずに自分でやったり、
頑張る(我を張る)方が、
一見ラクだったりするからね。




でももうそれがやれそうにない。

身体が拒否反応する。




そして、

あぁ。

私は何もできないヤツなんだ…

なんて落ち込んだりもするのだけれど。




きっと、
落ち込んでみたかっただけなのね。





ぐちゃぐちゃになって、
改めてわかったこともある。




私は、どうしたいの?

私は、何が好きなの?





「心と身体が、どう感じているか」


これが自分にとっての正解を知る、
すべて。





そこ、苦労してきた私だからこそ、

「私を生きたい」と思う、

これからの女性達に、

こういう自分の葛藤も遺したいと思うし、

そこの本質を伝えていける自分で、

この先も在りたいと思う。