「自分を生きる」
そう決意して始めた、30代。
20代最後の大イベントだった「離婚」は、
それまで「自分を生きてこれなかった自分」との決別。
三十路、バツイチ
二拍子揃って、
やっと決意できた「接客業」は、
天職♡だったけれど。
同時に「フリーター」という肩書となり、
三十路、バツイチ、フリーター
と、三拍子揃った。
だけどその
「三十路、バツイチ、フリーター」
という肩書?は、
単なる私の表面上のことであり、
本質ではなかったから、
全然気にならなかった。
だって私は、
本質=自分を生きると決めたのだから。
私が「自由」と言われる所以。
それは、私が限りなく、
世の中の肩書やレッテルの無い世界、
つまり「自分の本質」を生きているからだろう。
だけど。
未だに、揺れるときもある。
根が「良い人」なため、
「誰かのため」に、
自分らしく無いこともしそうになる。
それが家族のためとなると、
なおさらに自分の心を曇らせる。
根が献身的で、
「良い人」で、
やればだいたいなんでもやれてしまう、
「器用貧乏」。
ゆえに、
長いこと、わからなかった。
私が本当に好きなこと。
私が本当にやりたいこと。
そして、
自分はどうしたいのか。
でも、今はわかる。
本当に好きなことや、
やりたいことには、
トキメキが伴うこと。
ワクワクが伴うこと。
勝手にアイデアが湧いてくること。
心の底から心地良さを感じること。
気付いたら、いつもやっていることだったりすること。
自分の本質を生きていないとき。
勝手に、いろんなアラートがくる。
予定変更せざるを得なくなったり、
体調が悪くなったり。
反対に。
自分の本質を生きているとき。
何も意識しなくても、
全てが勝手に上手くいく。
良いご縁に恵まれ、
なぜか全てが勝手に整って、
トントン拍子で上手くいく。
そう。
トントン拍子って、宇宙のリズムのことなんだ。
それは、これまで体感してきたこと。
今日は、7月最後の日。
この6-7月は、
本当にキツかった。
何かと予定変更の多かった6月、
そしてちょっと立ち止まってみた7月。
そんな最中、
立ち止まってみたものの、
追い打ちをかけるように、
もっともっと先は見えなくなった。
私は改めて、
自分の生き方や考え方を、
変えるべきなのか?
今、何をすべきなの?
そう。
「考える」こと、ばかりした。
そして、
何がしたいのか、わからなくなった。
同時に、
前に進む気力も無くなった。
体調もどんどん悪くなった。
まだそういう自分がいたことがショッキングだったし、
考えれば考えるほど、
「どうしたい?」
は、わからなくなった。
当然だ。
それって、
考えてわかることじゃない。
それは、
感じるものだから。
頭ではなく、心で。
まだ、抜け切れたとも言えない。
けれど、
そう振り返れる状態になっただけ、
今マシだと思う。
今はまだ、
蝶々になる前の、
ぐちゃぐちゃになった、
サナギみたいな気分。
でもきっと、
蝶々になれるってわかってる。
だから、
ぐちゃぐちゃだけど、
ぐちゃぐちゃなりに、
大丈夫。