まともにブラックのコーヒーが飲めなかった頃、
ハマったミルクの甘さが優しいラテ。
ほんっっとーーーにかなり久しぶりに飲んだので(恐らく2年以上ぶりくらい)、
懐かしくて、懐かしくて。
こんなに懐かしくなると思わなかったから、
一口飲んだ瞬間にキュンキュン来て、
思わず涙が出そうでした。
味とか、香りとか、音とか。
こういう感覚の記憶って、
本当に無意識でダイレクトだね。
ただでさえ「感受性豊か」と言われる私ですが、
最近は一段と、
「自分はどう感じているか?」
「自分はどうしたいのか?」
に敏感です。
そこに注力して、忠実であろうとしてる。
この感覚は、
ずっとずっと鈍らせていた気がするから。
いざ、それを知ろうとすると、
聞いてこなかった声に、
耳を傾け直している感じ。
小学校の通知表、
違う小学校に3つ通えど、
決まったように毎年、
「感受性豊か」と書かれていた。
でもそれは、
いけないことのように感じていた。
「学校へ行けない」
(小3〜4の頃、1年くらいね。)
その理由は、
その感受性にあると思ってたから。
でも今は、
感受性の良し悪しに、
良い悪いもなく。
学校へ行ける行けないに、
良し悪しがあるとも思わない。
というか、
全ての物事に良し悪しはなく、
どっちでもいい。
誰かにとっての幸せ(良し)が、
誰かにとっての幸せ(良し)とも限らないし。
ミルクの多めのラテを美味しいと感じるか、否か。
好きか、否か。
何を美味しいと感じるか、
楽しいと感じるか、
ステキと感じるか。
それって、本当に人それぞれ。
ただ、絶対に幸せに繋がると思うのは、
「自分のセンス(感覚)を信じた、
聞いた、認めた、受け入れた」
その先にあるものこそ。
少なくとも、
自分のモノの感じ方を、
受け入れれば受け入れるほど、
人生は甘く、
幸せに満ちたものになるんだねって、
それを体感中。
私は、私のこういう感性が、
けっこう好き♡