2016年8月16日火曜日

感性

スタバで懐かしいラテを飲んでいます。


氷少なめミルク多めの、アイスラテ。



まともにブラックのコーヒーが飲めなかった頃、
ハマったミルクの甘さが優しいラテ。



ほんっっとーーーにかなり久しぶりに飲んだので(恐らく2年以上ぶりくらい)、
懐かしくて、懐かしくて。

こんなに懐かしくなると思わなかったから、
一口飲んだ瞬間にキュンキュン来て、
思わず涙が出そうでした。



味とか、香りとか、音とか。

こういう感覚の記憶って、
本当に無意識でダイレクトだね。




ただでさえ「感受性豊か」と言われる私ですが、
最近は一段と、

「自分はどう感じているか?」

「自分はどうしたいのか?」

に敏感です。

そこに注力して、忠実であろうとしてる。







この感覚は、
ずっとずっと鈍らせていた気がするから。

いざ、それを知ろうとすると、
聞いてこなかった声に、
耳を傾け直している感じ。






小学校の通知表、
違う小学校に3つ通えど、
決まったように毎年、
「感受性豊か」と書かれていた。


でもそれは、
いけないことのように感じていた。


「学校へ行けない」
(小3〜4の頃、1年くらいね。)

その理由は、
その感受性にあると思ってたから。



でも今は、
感受性の良し悪しに、
良い悪いもなく。

学校へ行ける行けないに、
良し悪しがあるとも思わない。



というか、
全ての物事に良し悪しはなく、
どっちでもいい。



誰かにとっての幸せ(良し)が、
誰かにとっての幸せ(良し)とも限らないし。

ミルクの多めのラテを美味しいと感じるか、否か。

好きか、否か。

何を美味しいと感じるか、
楽しいと感じるか、
ステキと感じるか。


それって、本当に人それぞれ。






ただ、絶対に幸せに繋がると思うのは、

「自分のセンス(感覚)を信じた、
   聞いた、認めた、受け入れた」

その先にあるものこそ。



少なくとも、

自分のモノの感じ方を、

受け入れれば受け入れるほど、

人生は甘く、

幸せに満ちたものになるんだねって、

それを体感中。






私は、私のこういう感性が、

けっこう好き♡