2017年12月31日日曜日

2017年の学び「家族は仲良く」

壮大なタイトルを付けてしまったけれど。



2017年の大きな出来事、

バンコクでの会社廃業、
そして本帰国

という出来事の中で、
私なりに一番学びになったことを、
この機会に書き記しておきたい。



それは、

「家族仲良し」

これはとっても大切なことだ、
ということ。




小学生の作文みたいだけれど、

「家族仲良し」

この土台がないと、
どんな幸福も意味をなさない。

これは、どんなときにも、
最低限必要なこと。

そういう感じ。


「家族が仲良ければ、
食べていけないほど貧乏でも、
不健康でも、なんでもいい!」


とか、そういうことではない。


ただ、
もしどれだけ経済的に、
社会的に成功したとしても。

どれだけの地位と、
名誉名声を得たとしても。



そのときに、
家族が仲良くなかったら、、



本当に幸せって、
言えるのかなって。


私たちの場合、
それは絶対にNOだった。


結果的に、
会社を廃業する、
という選択をしたのだけれど。


旦那さんと一緒に、
本当に廃業するのか?

本帰国するのか??


悩みに悩んで、
悩みながら本帰国して、


一緒にたくさん悩みながら、
一緒にたくさん悩んだことで、
痛感したこと。


結局的に、

一緒に悩めたこと、

それって幸せな時間だったし、

幸せな経験になった。




そう気付けたことが、
私には大きな学びだった。




少なくとも私たちには、

「家族の仲」

だけは、
いつも最低限保っておくべきもの、

つまり、
それを優先できる選択をする、
という価値基準を、
夫婦で共有できる出来事になった。




「家族の仲」

とは言っても、
土台は夫婦なので、

「夫婦の仲」

と言っても、
過言ではないと思う。



さらに言うと、
夫婦って、
自分の映し鏡だったりするので、
結局、

「自分自身との仲」

でも、あるんだろうけど。



今はまだ、

「夫婦の仲」

とか、

「家族の仲」

と、書いておこう。



夫婦の仲が良い事は、
子供達にとっても、
最高の教育になっていると思う。



教育とは環境だ、
と聞いたことがあるけれど。


学校では学べない事。

肌で吸収しているんだろうなぁ。



だけど、同時に、

この「夫婦仲」というものほど、
簡単ばかりでいかない、
ということも、
私はよーくよーーく知っている。



会社の経営が厳しかった、2016年。

特に次男を妊娠して、
酷いつわりになってからは、
家庭の状況も、
本当に最悪だった。



今の旦那さんに出会う前に、
私は離婚も経験してるので…

簡単な事じゃないっていうのは、
ほんとよくわかっている。



だからこそ、

「夫婦仲良し」

というこの土台があることが、
ありがたいと共に、
どれだけ大事なことなのか、
すごく体感してる。



夫の職場近くの横浜に引越してから、
いつにも増して、
私たちは良く話す。


夫は本当に良くやってくれていて、
「良くやってくれる」という表現は、
おこがましいくらいだ。


家事も育児も、
もちろん仕事も。


大人2人がかりでも、
乳幼児が2人いる環境は、
やること満載でタフで、
1日あっという間。


ママ休みも取らせてもらうけれど、
パパ休みも取ってもらっている。


でもパパ休みの日のパパは、
いつも以上に、
料理も掃除も洗濯も育児も、
びっくりするほどよくやってくれる。


私も遠慮なく休ませてもらうし、
やれないことはやらない。

無理しない。


さすがにこんなことおサボりしたら、
怒られるかなー

作ってもらって食べ終わったご飯を、
台所に下げないとか(笑)



そんな小さなことでも、

今はやれないーーー、、

と思うようなことは、
無理にやらない。

自分と仲良く。



で、夫は、

「下げることすらできなかったー」

と言う私に、

「無理しなくてよい」

と、サラリと言ってくれ、

お皿を下げて、洗ってくれた。




密かに感動した♡

はぁー、密かに自慢。




こういう積み重ねで、
子育ての慌ただしい日々の中にも、

幸せを感じている。


ありがとう、裕也さん。



って、結局、
夫自慢を書いてしまった。



で、こういう家族って、
月並みな言葉だけれど、
お金で買えないし、


お互いに、時間をかけて、
お互いにフィットするように、
育て合っているのだと思う。



そういう「育て合い」が、
たーくさんできた、
2017年だった。